トルコ旅行記③ ~カッパドキア編
メルハバ!!(トルコ語でこんにちは。)
前回紹介したボアズカレのハットゥシャシュ遺跡から車でまた走り続けると
だんだん見た事もないような岩石が姿を現します。
ここはカッパドキア。
古代ペルシア語で『美しい馬の地』という名を持つ地域。
トルコの首都アンカラから南東に位置し、大昔アナトリア高原の火山噴火によって
溶岩が流れ出し、風や雪による浸食によって独特の風景を形成しました。
今現在も「生き続ける街」として、目に見えない僅かずつ形を変え
また何百年か後には、今見ているこの風景は変わっている事でしょう。
長年の浸食で崩れる危険がある現在でも、この洞窟群で昔ながらの生活方法で
暮らし続ける人々がいます。
このカッパドキア岩窟群も世界遺産に登録され、
カッパドキア地方全体が世界遺産のため、周囲に近代建築物や工場などを建てるのは許されず
景観を守るためにみんな、昔ながらの質素な生活を営んでいます。
通称「らくだ岩」が見えてきました。
なんの形に見えるのか、それぞれ想像しながら眺めると楽しいです。
カッパドキアの観光は明日にし、今晩泊るホテルに移動します。
今夜のホテルはウチヒサール地区にある、ホテル『ウチヒサール・カヤ』に泊まります。
カヤとはトルコ語で「谷」という意味です。
ただ今はシーズンオフで寒いため、プールには入れませんが・・・。
でもここ、ハマム(岩盤浴をした後、あかすりやオイルマッサージをしてもらえます)が有名!
トルコ人はみんなハマムが大好き!
トルコ人と日本人は本当に似ているところがたくさんあります。
民俗学的にもモンゴロイド系であり、
言語も他の欧米諸国の大半がインドヨーロッパ語族なのに対し、
日本と同じアルタイ語族に属します。だから日本語の発音系統によく似ています。
室内に入るときは靴を必ず脱ぎ、お風呂が大好きで夜にお風呂に浸かります。
さてさて、ホテルのバーはこんな感じ。
それには訳があって、次の日の朝、早く起きて見たいものがあるからです。
それに野菜が本当に味が濃くておいしいです。
野菜にオリーブオイルとレモンをかけただけなのに、こんなに味のしっかりした野菜は
食べたことはありません。
ただ食べすぎに注意です。
トルコは水道水が飲めません。
石灰分が強すぎて、日本人はお腹を壊してしまいます。
トルコ人ですら飲み水はミネラルウォーターを買います。
なので水道水で洗った生野菜や果物を頂く時は
たっぷりとお酢かレモンを絞り、果物は皮をむいて食べましょう。
それでも野菜を食べすぎた私はお腹を下しましたから(笑)
さて次の日。
早朝4時に起きた私が見たかったのは、星空でした!!
満天の星空、こんなの日本の田舎でもどこの都市でも見た事がないくらい
本当に美しいものでした。こんなたくさんの星は見た事がありません。
空を見上げていると、いくつもいくつもの流れ星が夜空を横切ります!!
ここでみた流れ星はおばあちゃんになっても絶対に忘れないでしょう。
写真が撮れなくて残念でしたが、これは心の中に仕舞っておくものなのでしょう。
ずーっと空を見ていると空が明るくなってきました。
風の谷のナウシカや天空の城ラピュタのような世界観でした。
そして私が見たかったのはこれ!
気球が次から次へと飛び上がる風景は私も心が沸き立ちました!
今はシーズンオフですが、それでも気球の数は多かった。
でもハイシーズンはこんなもんじゃないそうです。
うわぁ~~~!!!
この色彩。この世のものとは思えない美しさでした。
今までにも色んなところを旅して、いろんなものを見てきたつもりでしたが
こんなに美しくて涙が出そうになったのは今までにありません。
こういう自然の風景に人はかないません。
山や空、自然の美しさにひれ伏すしかないと思いました。
岩窟群にたくさんの穴が開いています。
もちろん人間だけではなく岩ツバメやハトなどの鳥たちもたくさん住んでいます。
この朝焼けの瞬間はあっという間に終わってしまうんです。
こんな色はなかなか見られないだろうな、と思いました。
今回は予約がたくさんで、また次の日は風が強くて気球が飛ばせず
乗ることはできませんでしたが、いつかまたここに来た時に乗りたいと思います。
ちなみに気球は雨の日でも雪の日でも飛ばせるそうですが、
風がある日は飛ばせないそうです。
この時期だったらもうとっくに大雪が降っていてもおかしくないカッパドキアだそうですが
今年は例年とは違い、まだ雪も観測しておらず気候も比較的暖かいです。
幻想的な景色の余韻に浸りながら朝食を食べます。
レストランからもカッパドキア岩窟群と気球を見ながら
一大パノラマで食事をとれました。
次回はカッパドキア地方内の古代ローマ時代からのキリスト伝播の地
ギョレメ国立公園を紹介します。
ここでは修道士たちがキリスト教を布教させようと、岩窟に棲み
人々に教えを説き、また自らも厳しい修行をする場所でした。
キリスト教を国教と認めないローマ帝国の追手から隠れ潜んだ場所でした。
ではまた次回!
by erikok0826
| 2014-11-28 00:30
| 旅